屋久杉 -Yakusugi-

屋久杉


屋久杉

屋久杉
やくすぎ

東洋のガラパゴスと呼ばれる屋久島
樹齢1000年以上の杉だけを屋久杉と呼び、1000年以下の杉を小杉と区別しています。
屋久杉は、標高にして600m以上から1300mくらいの所に多く自生し、1200m前後に巨大杉が多く見られます。
世界遺産登録に際しても、日本の自然景観の重要な要素であり、固有植物である杉のすぐれた生育地と評価されています。太古の森で、脈々と受け継がれてきた強い生命力、
そして聖地である屋久島に宿る清らかなエネルギーを持つといわれています。

木の力
厄除け、癒し、ヒーリング、長寿、繁栄、開運招福


屋久杉の歴史

屋久杉の歴史

古くから信仰の対象であった奥山に育つ屋久杉を
伐採することはありませんでした。
しかし、島津氏が強大になり、
さらに天下統一がすすめられる時代になると、
特別な建築のために屋久杉が伐採されるようになりました。
また、秀吉の京都方広寺の建築材を調達するため、
島津氏の重臣が調査に来島した記録も残されています。


************************************************************


寛永年間 屋久杉(薩摩藩伐採杉)
薩摩藩(島津家)の時代、何らかの理由で屋久島から運び出されることなく、推定寛永年間(江戸前期1624年〜1644年)に伐採された約400年もの歳月を地中で眠り続けてきた土埋木の古代杉です。 今日では美術品や工芸品として高く評価されていますが、当時は実用性に優れた貴重な資源でした。極めて密度が高く、巨大に育ち、樹脂分を豊富に含むため、水に強く腐りにくい。その特性から、造船材や建築材として重宝され、島津藩の財政を支える重要な産業資源の基盤とされていました。寛永以前にも屋久杉の伐採はされていましたが、正式に伐採を統制し、庶民が許可なく伐採することを禁じはじめたのがこの時期といわれています。薩摩藩は屋久杉材を年貢として制度化し、島民は米の代わりに「平木(屋久杉の薄板)」を納めたと伝えられています。それにより島民は農業よりも林業中心へと変化していきます。 現代とは評価基準の違う人々の暮らしと密接に結びついていたという文化的背景を併せ持つ屋久杉です。 明治以降は国有林となり、一切の伐採は禁じられています。